2月14日 







本日、二月十四日。

言わずとも知れた大イベントの日である。




最近では女性からだけでなく、男性から女性へと送られる「逆チョコ」というものも
流行っている。

が、やはり女子のイベントであるという認識が強いらしく、男子は完全に受け身になってしまっているというのが現状だ。
勿論、年頃の男女の集いし薄桜学園もその風潮に呑まれていた。







「………どうしよう」


物陰に身を隠すようにして呟く。
困り切ったように下げられた眉尻がなんとも頼りなさげな少女は、遠くを見つめる。
そして、はぁ、と大きくため息をついた。



「……あれじゃ近づけないよ…」



先程からこうして様子を窺っているのだが、一向に状況は変わらない。
時間ばかりが刻々とすぎている。


少し時間をおけば状況は良くなるだろう、と思ったのがどうやら間違いだったらしい。
それどころか、どんどん少女にとって宜しくない方向に進んでしまっている。



少女は何度目かのため息をつき、自分の手元に目をやる。
落とした視線の先には赤い小さな箱が握られていた。
控えめな金のリボンで丁寧に包装されている。




そう、世では本日はバレンタインデー。
その祝いの日に乗っ取って、用意をして来たのだけれど。




「……無理だよお…」



心底がっかりしたように少女が小さな肩を落とす。
そんな少女の様子とは裏腹に、先程まで窺っていた方向からは黄色い声が響いてくる。



………もう、諦めようかなぁ…。



一日の中でも、一人で居るときが必ずあるはず。その時を狙って話しかければいい。
……そう、思っていたのだけれど。



「土方先生っ、私チョコ作ってきたんです!」
「……お前、学校に菓子もってくんじゃねぇよ」
「そんなこと言わないで下さいーっ」
「可愛い子ぶるな」
「ひっどーい!でもそんな先生が好きですよー」
「私もー」
「あたしもっ」
「……それはどうも」



土方の面倒くさげな態度にも、数人の女子達は嬉しそうな声を上げる。


普段は鬼教師と言われ、ひどく厳しい生徒指導が評判の土方もこの日ばかりは
女子に囲まれて居る。

それもそのはず。
教師である身ながら、もともと俳優並みの美形である土方が人気がないわけがないのだ。
常に近寄りがたい雰囲気を醸しだしている土方に近づくには、
このバレンタインデーというイベントを利用するしかない。


現に少女――…千鶴もそれを狙っていたのだから、いま騒いでいる彼女たちの気持ちが
手に取るようにわかる。



……それにしても、土方がこんなに人気があったとは予想していなかった。



あの子は土方先生のことが好きなんだって、あの子も気になってるみたいだよ……
と、普段から何気なく聞いては居たが……



どうやら、バレンタインデーに背中を押されて勇気を振り絞った女子はすごく
多かったらしい。
千鶴の予想以上に土方は女子生徒に囲まれていた。



朝から放課後の今に至るまで、ずっと一人の時間がないのだから相当のものだろう。



「頑張って作ってきたのに…」



土方先生へ、とあてた赤い箱の中には、当然チョコレートが入っている。
お菓子作りを始め、料理を作るのが趣味な千鶴にとってそう難しい作業では
無かったのだが……

どうも緊張してしまい、何度も作り直す結果になったのだ。



……しかし、諦めるほかなさそうだ。



元気なく、千鶴は赤い箱を握りしめたままその場をそっと去った。










一体、バレンタインデーなんてものを作ったのはどこの誰なのか。

バレンタインデーの起源なんぞには微塵の興味もないが、もしそいつが
生きてるんだったら文句のひとつでも言ってやりたい。



「キリがねぇな……」



小さな包みを持ってきた女子生徒達が立ち去ったあと、土方は小さく毒づいた。
己の手には、持てる限界の数の塊が乗っかっている。



学校に不要物を持ってきてはいけない、という当然のルールがある以上、生徒の
持ってきた不要物をそのまま見過ごす訳にはいかない。

仕方なく、『受け取る』というより『回収』をしているのだが……



「……多すぎるだろうが」



正直なところ、ここまでとは予想していなかった。
例年よく飽きねぇなあ、と思いつつも『回収』を続けている。

しかし、今年はいつにもまして、増えているような気がする。


毎年、『不要物』はそのまま処分、という可哀相な運命を辿る訳なのだが
それを女子生徒に伝える訳にもいかず。



「気の毒だな」


どうにも他人事のような言いぐさで土方が呟いた。











そのまま、家に帰ってもよかったのだけれど。
どうにもそういう気分になれず………


誰もいない教室で、一人うつむいた。
窓側の自分の席に座っていると、なんだか落ち着いてくる。



いつもはにぎやかな声で満たされている教室も、放課後の夕日に照らされて
どこか幻想的にさえ見えてくる。


掃除済みの綺麗な黒板。
きちんと並べられた机と椅子。
なにも乗せられていない教卓。



「……だめだなぁ、私」


周りに人がいる状態で、一人では土方にさえ話しかけられない自分が嫌になる。
千鶴が本当に小さな頃から、土方にはお世話になってきたのだけれど、
今はとてつもなく遠い人に思えた。



千鶴はふと、チョコレートの入った箱を鞄から取り出して、机の上に置いた。
シンプルな無地の赤い箱は……どうもこの場には合わない気がする。



この箱を手にした土方を思い浮かべ、……目頭が思わず熱くなる。
本当なら、そうなるはずだったのだ。そうするはずだったのだ。
しかし、現実は違う。


リボンを小さくつまみ、結び目をほどく。
しゅる、と心地よい音をたてて机の上にリボンが広がる。


土方があまり甘いものを好まないという事で、あわせてビターチョコにしていたのに。
それも無駄になってしまった。



「……甘くないなぁ」



丸められたトリュフの一つを口に入れる。
甘みのあるチョコレートが好きな千鶴には少し苦い。



千鶴は机に顔を伏せた。



一人で物思いにふけり、何とも言えない気持ちになる。
あとから沸いてくるのは、自己嫌悪、自己嫌悪。


あの時勇気を持って話しかければ良かった。周りの女の子達にどんな視線を
向けられようとも、行けば良かった。

……しかし、きっと、あの時をやり直せたとしても私は渡せない。
そんな気がする。




「頑張って……渡したかったなぁ…」
「何をだ?」




突然聞こえた声に、思わず千鶴が肩を大きく跳ねさせる。
声のした方に顔を上げると……



「一人で何やってんだ、お前」


いつの間にいたのだろう、どこか呆れたような顔をした土方が立っていた。
思わぬ本人の登場に、無意識に背筋が伸びる。



「あ、あのっ」
「何でもいいが、早く帰んねぇと危ねぇぞ」



あわあわと今の状況の言い訳をしようと千鶴が口籠もるが、土方は涼しい視線で千鶴を
見る。
その口調にも、どこか他人を近づけないような雰囲気があり……



「………う」



気付いた時には、目尻から滴が零れていた。
大粒のそれは、一粒一粒、ゆっくりと机に斑を描く。

静まりかえった教室に、押し殺されたような泣き声が染みる。



「………雪村、お前はどうして……っおい?!何で泣く?!」



常時、年齢にしては若干落ち着きすぎる態度の土方が、大きく目を剥く。
ゆったりと背を教室の扉に付けていた姿勢から、慌てて千鶴に歩み寄る。



うつむき、泣き顔を見せまいとしている千鶴の隣に行き……
何か悪いことでもするかのように、しきりに辺りを見回す。

そして、千鶴と土方以外だれも居ないことを確認すると、土方はしゃがみ込んだ。



「……どうした?……千鶴?」



学校での、生徒と教師という立場を離れた呼び名に胸が熱くなる。
土方は普段万が一を警戒して、決して千鶴を名前で呼ばないのだけれども。
それほどに土方は千鶴を案じている。動揺している。


「何でも……ありま…せ…ん」
「んな訳ねぇだろ。嘘つくんじゃねぇ」



そういう土方は優しげながらも、厳しい瞳をしていて。
昔からそうだ。土方は、千鶴の強がりを許さない。


………しかし。
その強い土方の意志を見ても、千鶴は譲らない。
千鶴からしてみれば、この状況を土方本人に労られる事こそが、もっとも辛いのだ。



「気に…しないで下さい……」



絞り出すように千鶴が呟く。

千鶴の隣に立ちつくす土方としても、千鶴に拒絶されれば為す術がない。
鬼のように厳しい態度とは裏腹に、性根は誰よりも優しい土方はいつもここで
折れてくれる。


変に意地を張ってしまう私とは違って、土方先生は大人だから。
そうおもって千鶴は呟いた。


しばらくの沈黙のあと、土方が動く音がした。
かすかな衣擦れの音でも響く、この状況で、それを感じ取るのは容易いことだった。



土方はきっと、このまま千鶴をほおって置いてくれる。



そのことに、安堵とかすかな落胆の入り交じったような気持ちになる。
突き放してほしいのに、そばに居て欲しい。
どんなに千鶴が想おうとも、土方には要らないものでしかないだろう。
きっと、土方には無駄で、迷惑でしかない。




そんなことは分かっていて、土方が好きだった。

いつでも涼しい顔をして、皆を優しく見つめている土方が、誰よりも好きだ。
けれども。
土方の迷惑になるのならば。




諦めます、と告げようとしたとき、急に腕を上に引っ張られた。

いきなりのことに反応できずにいると、視界が動いた。



いままで見えていた机の色が消え……視界に広がるのは、美しい、整った土方の顔。
窓から差し込む夕日に照らされ、土方の長いまつげの陰が伸びて、綺麗だ。

口付けをされた、と気付いたのは、土方が完全に身を引いてからだった。



「……土方、せんせ…い」



半ば呆然とする千鶴に対し、土方は真剣な目をして千鶴を見つめた。
その視線を受け、余計に、目尻と唇が熱く感じる。



「………お前は昔っからそうだ」
「…え」
「何があっても一人で抱え込もうとするだろうが。それを見てるこっちの気持ちにもなっ
 てみろってんだ」



土方は早口にそう言いきると、ふい、と千鶴に背を向けた。
その背中が何かを耐えているように見える。


土方が黙り込んだのを境に、二人の間に何とも言えぬ沈黙がながれた。
静かすぎる放課後の教室では、沈黙が逆に耳にうるさい。



どう口を開いていいものか分からずに千鶴が考えあぐねていると、土方が不意に千鶴に
向き直った。



「……甘くないやつか」
「え?」



土方の意味深な呟きに、千鶴が首を傾げる。
何のことか分からない。
しかし、そんな様子の千鶴を余所に、土方は口角をつり上げ……



「チョコレート、の味がする」
「あ……!」



土方に言われて気がつく。
そう言えば、土方への贈り物として作っていたチョコレートを
自分で食べてしまっていた。
それで、土方は「甘くない」と……


自覚してしまうと、途端に恥ずかしくなる。
土方に、口付けをされた。

あまりの突然すぎる出来事に、涙も止まってしまっていた。
身体の温度が一気に上がっていくような感覚を覚える。



「あ、あの、えっと……」
「こりゃいいもんもらったな」
「え?」
「バレンタインなんて面倒くさいもんとしか思ってなかったがな。
これなら、悪くない」



そう言われ、千鶴は余計に顔を赤らめた。






Fin.....


終われw←


生徒に手を出してる土方さんですねー
沖千でくるかと思われているのが何となくわかったので、あえての土千で!

もうバレンタインすぎまくってますがそこはつっこまない方向で





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