華一輪 














「失礼します」

障子の向こうから聞こえる、鈴の音のような声に筆を止める。
京での状況をつづった合津藩への文をしたためることに没頭していたにも関わらず、
水が波紋を描くように心地よく耳に響いた。

硯の隅で筆の穂先を整えながら、
「入れ」
と短く返事をした。


「……お茶をお持ちしました」


そっと音を立てないように開かれた障子の奥に、千鶴が佇んでいた。
その言葉どおり、手元にはお盆の上に乗せられた土方の湯呑みがある。


「わざわざ悪いな」

小さく土方が口元を綻ばせながら千鶴を労うのには理由がある。
昔、というほど前の話ではないが、千鶴が新選組に身を寄せるようになった始めの頃、
土方が一服したい時にだけ千鶴を呼びつけていた。
千鶴が置かれている立場上、その性をも隠さなければならぬという重圧から少しでも気が紛れれば。
土方の千鶴に対するわずかな配慮であったことに、千鶴自身も気付いていたのだろう。

その思いに少しでも答えようとしたのか、いつのまにか千鶴は土方の呼びつけの時間の間隔を読み取って自分から土方の元へ足を運ぶようになっていた。

本来、女の影など許されない屯所である。
男所帯ゆえ、粗雑になりがちな給仕には慣れていたが。
自分のためを思って入れられたお茶は、やはり、味わいが違う。

「いえ、これくらいのことしかできませんので…」

年相応の少女らしく、顔をほころばせた千鶴から大切そうに差し出された湯呑みを
受け取る。

色黒なその湯呑みは暖かく保たれていた。
千鶴は熱めの茶を決まって持ってくる。
ほかの幹部の話を聞く限りでは、すべての幹部に入れる茶が熱いわけではなく、
それぞれの好みに合わせて酌み分けているようなのだ。
無論、千鶴の前で茶の温度の好みの話をしたことなど、無い。

千鶴の細やかな配慮が、屯所に和やかな雰囲気をもたらしていることは明確であった。


と、土方が千鶴の方に目をやると、じ、とこちらを見ていた。
大きな黒目の動きから、何かを見つめているというより、ぼう、と、何かに見惚れているように見える。

「……どうした?」

土方が千鶴の様子を不思議に思いながらも声を掛ける。
と、千鶴の方が大きく跳ねた。

「……えっ?」
「……いや、ぼう、としてねぇか」



千鶴と対照的な鋭い瞳の光を持つ土方が、ちらり、と千鶴の様子を窺う。
黒とも紫苑ともとれる瞳は、昼でも薄暗い部屋の中では不思議な光を放つ。

鬼の副長、として名を馳せる仕事の鮮やかさもさることながら、土方の持つ容貌も人を
おののかせる要因の一つである。
それでいて、一度瞳を見てしまうと、惹かれてしまう。
刃物のような男だ、と人は言う。




千鶴の答えを待つ土方に、千鶴は何かを言おうと口を開き、……
何度か口をぱくぱく、と動かし、結局そのままうつむいた。


「な、なんでもありません……」
「んなわけねぇだろ」

なんだか徐々に小さくなっているように見える千鶴に、土方がすかさず反論する。
土方が思うに、この目の前にこじんまりと座っている少女は、
嘘をつくのが下手くそな部類の人間である。
それは同時に素直であるということでもあるから、土方にとっては不都合では決してないのだが……

「………」

気にかけている女からそんな態度をとられては面白くない。
土方に、恩を仇で返されて喜ぶ趣味はないのだから当然である。


「なぁ」
「………」
「千鶴」
「………」

土方の呼びかけにも応じず、千鶴は殻に籠もってしまったカメのように黙りを決め込む。
外見からは考えられないが、千鶴はこれでいて頑固だ。
いまはうつむいており窺い知れないが、千鶴の大きな瞳には確かに強い意志が浮かぶ時が
ある。


時には土方でさえ心を動かされる強い、強い光が。



「………千鶴」



囁くように低く土方が千鶴の名前を呼ぶ。
いままで数多の女をおとしてきた低音に、千鶴の肩が確かに反応する。

………しかし、反応するだけである。
依然、土方と千鶴は目を合わせようとしない。




「……しょうがねぇな」

はぁ、と土方は小さくため息をつき、千鶴の方に手を伸ばし−…

「………っ?!」

ぐい、と千鶴の顎に手を掛け、無理矢理上を向かせた。
ぐっ、と何かを決意したようにうつむいていた千鶴も、土方に手を出されると
いとも簡単に操られてしまう。

千鶴の顎にかけられた角張った手が、わずかに喉を撫でる。


「……どうして隠す」
「あ、あのっ…!」

慣れない視線と体勢に耐えかねたのだろう、頬をすっかり蒸気させ、
千鶴が思わず声を発した。
そして、再びぱくぱくと口を動かした後―…


「……き、綺麗だと思いまして…」
「綺麗?」

予想だにしなかった千鶴の返答に、思わず反復して聞き返してしまう。
部屋の隅、壁、とにかく当たりを見渡すが、「綺麗」と取り立てて褒められるほどの物は
簡素な土方の部屋には見あたらない。

「……………土方さんが……」



聞こえるか聞こえないか、蚊が鳴くような声で千鶴が呟いた。

思わず軽く目を見開いた土方を前に、千鶴がどんどん茹で蛸のように真っ赤になっていく。
いままで黙り込んでいたのは、羞恥のためだったのだろう。
そのことに土方もようやく気が付く。





――…真っ赤な顔のまま、土方を上目遣いでちらちらと不安げに伺う様は、なんとも。






す、と土方が千鶴の顎から手を引く。
いきなり解放された千鶴は思わず前につんのめりそうになる。
そんな千鶴に構うことなく、土方はその場をすんなりと立ち上がった。

「ったく……」

わざと千鶴から目を反らすように顔を背け、小さく息をついた。
そんな土方の様子を、呆れられたと取ったのだろう、千鶴が目を大きく見開く。



「………あ、あの…ごめんなさい…」
「………お前には」
「え?」

思わず、不安から千鶴が顔を上にあげる。
土方がその隙を見逃すはずもなく。


――……一瞬。



唇が熱を覚える頃に、ようやく千鶴が我に返る。




「………お前には、俺より綺麗になってもらわねぇと困る、っつってんだ」




『――…真っ赤な顔のまま、土方を上目遣いでちらちらと不安げに伺う様は、
なんとも。――……』





愛らしい。







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