桜坂(二)
次の日。
朝、千鶴は走っていた。
もともと運動が得意な方ではない千鶴は、走っても平均より大幅に遅れをとってしまう。
千鶴自身、好きで遅れている訳でもないのだから、しょうがない。
小さい頃は友達と鬼ごっこをするために、それは必死に走ったものだが……
成長期、というやつである。
千鶴も含め、女子がぱたりと外遊びをしなくなった時がある。
見た目を気にしてか、男子を気にしてか……
いずれにせよ、外を全力で走るなどそれ以来だ。
「はぁっ…はぁっ…」
息が切れる。
やはり、走り慣らされていない体はなかなかスピードに乗ってくれないものらしい。
だが、このまま間に合わなければ遅刻は確実だ。
皆勤賞を密かに狙っている千鶴としては、それだけはなんとしても避けたい。
……いつも通っている道を使っていては、間に合わない。
瞬時にそう判断した千鶴に根拠など、ないのだけれど。
千鶴は駅にたどり着くと辺りをきょろきょろと見回して、2つの階段を目に留めた。
一瞬だけ、考え込むように足元を見つめ……
そして、電車のホームへ使い慣れない方の階段を掛け降りた。
「………ま、間に合った…」
ホームへの階段を掛け降りてから後。
なんとか無事に電車に乗ることができた千鶴は、車内でぜいぜいと肩で息をしていた。
あと30秒、いや10秒飛び込むのが遅かったら……。
千鶴はへなへなとその場に沈みこみそうになるのをこらえた。
朝にギリギリになって飛び込んで乗車する学生など、特に珍しい光景という訳でもない。
千鶴のまわりに立っている人達は、それぞれの状況に没頭していた。
新聞をがさがさと漁るサラリーマン。化粧の崩れを気にして窓をじ、と見つめる女子大生。うつらうつらと今にも眠ってしまいそうな男子高校生。
いつも通りだ。
何らかわりない。
しかし……いつもと違う方の搭乗口からのってしまった。
当然、彼の姿はない。
(………当たり前だよね)
朝、一緒に登校する約束をしている訳でもない。
それに友達同士という訳でもない。
なのに、朝、一目見ないと落ち着かないというのはどういうことなのだろう。
いないとわかっていても、無意識に辺りを見回してしまう。
向こうは千鶴の存在にさえ、気付いてないだろうというのに。
先程、全力疾走したことで乱れた髪の毛を撫でる。
顔の横で緩く結んでいた髪止めが外れかかっていたことに気付く。
淡い、ピンク色のそれ。
すこし前に千からもらったものだ。
なんでも、千の知り合いの手作りらしいのだが……
桜を思わせる布地に細かい刺繍が施されている。
よくみたら、糸一本一本に細かいラメが織り込まれているらしく、キラキラと光っている。
こんな繊細な細工を施された物を持っていなかった千鶴は、最初どうあつかっていいものか分からなかったが、結局普段づかいにすることにしたのだ。
だいたい、人の貰い物を貰っていいはずがない。
そのことを千に伝えたのだが、「私より千鶴ちゃんのほうが似合うからいいよ」て笑って渡された。
さすがに貰ったままだと悪いので、その千の友人にお礼をさせてほしい。
そうつたえると、千は近々会うから伝えておくね、とはにかんだ。
そうこうしているうちに、電車は目的駅に停車した。
***
更に翌朝。
………もしすると、私は遅刻が嫌ではないのかもしれない。
いや、そんなことはないのだが……
昨日、あれほど大変な思いをしたというのに。
「はぁっ…はぁっ……」
千鶴はまたしても走っていた。
(ま、間に合うかな…)
朝独特の人ごみをかきわけ、急いで歩を進める。
どういう訳か、昨日より人が多い。
すんなり入れたホームへの階段さえも込みあっている。
今日の今日こそは本当に遅刻してしまうかもしれない。
(……目覚まし、時計を、かけ、わすれる、なんて……)
走りながらも、内心悪態をつく。
昨日、あれだけきつい思いをしたのだから、自分でも懲りただろう、と高をくくっていた。
それが、まさかまた寝坊するなんて。
つい昨日駆け抜けたばかりの階段を走る。
昨日の今日では、走ることに慣れるはずもなく。
朝だというのに、頬から伝ってきた汗を拭う。
女子高生特有の靴の中がもやもやと熱気を帯びている気がする。
それでも、千鶴は足を止めない。止めると同時に遅刻は確定してしまう。
普段から先生からの評価が非常に良い千鶴。
これはなんとしても、『皆勤』を狙わなくては、といきごんでいたのだが。
(………無理かもしれない)
千鶴はたどり着いたホームを目にし、つい心が折れそうになった。
……なにかあるとでもいうのだろうか、常に比べて、格段に人が多い。
ホームに来る前の階段を見ても同じことを思っていたのだが……
続
携帯は全体が見れないから更新しにくい。
でも時間が無いので携帯に頼るしかないw^^