湯気に映る君。 





惚れた女と所帯をもって、2人で静かに暮らす。
原田の願いであり、千鶴の願いでもあるそれを叶えるため、私たちは日本を発った。

慣れない土地での暮らしは始まったばかりで、命の危険の無い所で愛する人と
ただ、平凡に暮らす。
それがこんなに幸せなことだって思いもよらなかった。
いつまでも続く幸せに心が満たされるほどの希望がある。
しかし、それに負けないほどの不安も、いまだに心の中に巣くっている。


今も、ほら。
この身を貫くような、底冷えする夜の寒さに私はどうして良いか分からない。


「千鶴」
「・・・・・・左之助さん」


闇に沈んでいる外を眺めながら、考えていたことが顔に出てしまっていたのだろうか。
寒いんだろ、と原田は羽織を掛けてくれる。


「・・・・心配すんな。ここも春になりゃ、だいぶ過ごしやすくなるさ」
「・・・そうですね」


軽く微笑む原田に千鶴もふわふわと微笑んでみせる。
そんな千鶴の顔を見て、原田の口角がわずかに引き上がり、

「・・・・・・・そんなに寒いんなら、今夜俺があっためてやろうか」
「・・・・・・どういう意味ですか?」


寄り添って一緒に寝ようという意味ならば、それはいつものことなので、
わざわざ口に出す必要も無いはずだ。

では、どういう意味なのだろう。


相変わらずの鈍さで小首を傾げる千鶴に思わず苦笑してしまう。

住んでいる国、日常、そして背中を任せた仲間たち・・・・・・・
様々な物が変わりゆくなかで、出会った頃から変わらない千鶴に安心するのも確かだ。


移り変わる物があるように変わらずにいつまでもいる物もある。
そのことに原田の心は不思議と震える。

しかし、いい加減この手の誘いにも敏感になってほしいものだというのに。


「・・・・・今夜は寝かせるつもりはないぜ?」


原田が息だけで囁くと、千鶴は言葉の裏に潜む行為を理解したのか顔を朱に染める。
正直、ここに来てからというもの、互いに何かと忙しく、余裕がなかったのだ。

そして、原田は長らく千鶴に触れていない。
そろそろかわいらしい妻に対しての我慢の限界である。

「で、返事は?」


返事は、分かっている。
原田の誘いを優しい千鶴が拒めるはずは無いのだ。それを知っていてあえて聞く。

「お・・・・おねがい・・・しま、す」

ゆでだこみたいに真っ赤になってしまった千鶴は言葉を詰まらせながら頭を下げる。

「そう かしこまるなよ。俺がねだってるんだ」

恥ずかしさで蒸気があがりそうな顔を隠すためか、顔を伏せて原田と目を合わせないようにしている千鶴の首元に顔を埋める。


抱きしめて、押し倒して、可愛がって――――・・・・と原田はそのまま事を進める気で
緩い動作で千鶴を畳の上に寝ころばせようとする。
が、千鶴は驚いて顔を跳ね上げる。

「は、原田さんっ!」
「・・・・・・・」


千鶴と2人で行動をともにし、幾度も肌を合わせてきたというのに、千鶴は今でも
時々『原田さん』と呼ぶ。

しかも、それは意識している訳ではなく、焦ったり驚いたりと咄嗟にでてきてしまう
ものらしい。


無言で『原田さん』と呼んだ千鶴を正面から見つめる。
原田の言わんとしてることは伝わるだろうか。


最初、なぜ見つめられているのか分かっていない、という顔をしていた千鶴が
はっ、と目を軽く見開く。

「・・・・〜〜っ、さのすけ、さん」
「なんだ?」

自分のしてしまったことに気づいた千鶴に微笑んで返事を返す。
気づかなかったらそれはそれで無理矢理に事を進めてやるつもりだったのだが。


「い、今はだめですっ!」
「・・・・なんでだ?」

千鶴が必死に首を振る。
こうも拒絶されては、原田からしても少々面白くない。
そう思ったのが顔に出ていたのか、千鶴の眉がしまった、というように下がる。


「ち、違うんです・・・・嫌とかじゃなくて」


言葉を切るとまた千鶴の視線が畳に落ちる。
口にするのをためらうように、言葉を選んで、


「・・・・・・・・・私、まだお風呂にはいってませんから」


・・・・・確かに、千鶴の居住まいを確認する限りでは風呂に入っていないのが
見て取れる。だが・・・・・


「そんなの気にすんなよ、俺も入ってねぇよ」


千鶴が風呂にまだ入っていないからといって決して汚いなど思わない。
現に、いまでも千鶴からは誘うような甘い良い香りがする。

あまり深く考えずに口にしたのが悪かったのだろうか、千鶴が語気を強めて
原田に反論する。


「男の人と一緒にしないで下さい!・・・・・・・・・綺麗にしておかないと」


真っ赤になって消えるように呟かれる、まさか予想だにしなかった千鶴の言葉に、
一瞬目を見開き固まって・・・・・ひどく優しげに原田が目を細めた。


「・・・・・・なるほど、な。俺のためにしてくれてんだろうから、
 あと少しだけ待ってやるよ」

言葉とは裏腹に、名残惜しそうに千鶴から身を引く。
本音をいうと、今すぐにでも千鶴にふれてしまいたい。

まぁ、しかしここで折れなければならないのは原田のほうだろう。
その時、原田にとって名案とも言える、ある考えが頭をよぎる。

それならば。



「・・・・・・・・なぁ、俺も風呂に入っていいか?」
「あ、はい。左之助さん、お先にどうぞ」



甘えるように千鶴に問いかけると、あっさり千鶴が承諾する。
にこやかに微笑む彼女の顔を見る限り、原田の言葉の本当の意味に気づいた様子はない。


「・・・・・・・・・・・そうじゃねぇよ、一緒に、だ」


千鶴の肩に流れ落ちる、美しい黒髪を一房手に取って軽く口づけながら諭す。


原田の言葉の意味が理解できないのか、しばらく千鶴の思考が停止する。
千鶴の反応をじっと見つめて待っていると、だんだんと千鶴の耳が赤く染まっていく。

「ええええっ!!む、む無理です!」
「無理じゃねぇだろ?・・・・・・・・・・・千鶴、だめか・・?」


わざと声を色めかせるようにして、耳元で囁いてやる。
こうして追いつめると、千鶴は首を縦に振るしかないことは分かり切っている。

「・・・・・わ、わかりました・・・」


案の定、しぶしぶながらもゆっくりと頷く千鶴の頭を優しく愛でるように撫でる。

「心配すんな、俺も風呂んなかじゃあ手ださねぇよ」


そう言ってやると、千鶴から安堵のため息が漏れる。





ただ―――・・・・・押さえきれるかはわかんねぇけどな。


**





どうして、こうなってしまっているのだろう。
いつもと同じように薄い手ぬぐいを身体に巻いて風呂場に足を踏み入れた。
そこまではいつもと変わらず、同じだったのに。

身体があつい。
それが、すでに湯の沸いた浴室だから、と言う理由だけではないのは千鶴も分かっている。
原田の放すまい、と背後から伸ばされ抱きしめる2本の腕が、千鶴の体温を
果てしなく上げていた。


「・・・・・・・・・左之助さん」

長く、力の強すぎる腕に抱きすくめられては、何もできないどころか、身動き
さえとれない。
はなしてほしい、と千鶴が訴えても、原田は何も言わず腕の戒めの力を
強めるばかりである。

「・・・・・・・これじゃ、身体が洗えないです・・」

またも原田は千鶴の言葉に耳をかそうとせずに、腕の力を緩めない。
抱きしめられると、どうしても今の状況を意識してしまう。

千鶴が身につけているのは薄く、どうしても身体を隠すには頼りない手ぬぐいのみ。
原田はと言うと、下半身を隠すため腰についでのように巻かれた手ぬぐいしか
身につけていない。


抱きしめることで伝わる熱は衣服越しではなく、むき出しの肌で。


一度わかってしまうと、堪らなく恥ずかしくて、照れくさくて・・・・・
とにかく、浴室の熱気を身体がそのまま取り込んでしまったように
熱く火照っている。


突然、原田が目の前の壁に手をついた。
抱きしめられていた千鶴は、壁と原田に挟まれてしまう。
顔の左右両方の壁につかれた腕に驚いて、千鶴が原田に向き返る。

「さ、左之助さん・・・?」

原田の行動の意味を問いかけたかったが、浴室の壁にかわって目の前にある
原田の逞しくもしなやかな胸板から、思わず目を背けてしまう。

そんな千鶴を予想していたかのように、原田が千鶴の空けた首筋に吸い付いた。


「ひゃっ・・・・!」

いきなり何の前触れもなく、押しつけられた唇に千鶴が声を上げる。
それを気にする様子も見せずに、尚も口づけを続けようとする原田を
ぐいぐいと押し返す。
勿論、そんな小さな抵抗など、距離を詰めてくる原田を止められるはずもない。

「ちょ・・・、さのすけさんっ!」
「なんだ?」

よっぽど焦っているのか、切羽詰まった声を上げる千鶴を面白がるように原田が
返事をする。
その声を優しく、色めかせながらも休まずに口づけを落としていく。

「っ、何もしないっていってたじゃないですか!」
「さぁ?覚えてねぇな」

白々しく言ってのける原田に、千鶴がそんな・・・・・!と息を飲み込むが、
原田は聞く耳を持とうとしない。

壁を背にして動けない千鶴の、自分のものとは全く違う、細く華奢な腰を引き寄せる。
力強くも、ひどく優しい手つきでそんな事をされては、抵抗など不可能に等しい。

先ほどまでとは少しだけ違う熱が身体に浮かんで来てしまう。

「ま、待ってください・・・!ここじゃ、」
「なぁ、千鶴」

必死に言い逃れようとする千鶴の肩をつかみ、真正面からしっかりと見据える。
感情の読めない顔をしている原田に見つめられ、何かいけないことを
言ってしまったのかもしれない、と千鶴が身を固くする。

しかし、すぐに千鶴を予想を裏切り、安心させるように原田の目元が緩む。

「お前、さっき俺がどんだけ耐えたかわかっていってんのか?」
「え・・・・」


湯気の熱気でしっとりとしめっている、千鶴の前髪を優しく掻き上げて、
額に口付ける。

「・・・・・散々我慢したんだ、もう、いいだろ?」



これ以上堪えさせるのは、拷問だぜ?



諭すように、囁くように口説いていくと、千鶴から力が抜けていくのが感じ取れる。


結局、千鶴は原田に甘いのだ。
原田の言葉を発する唇が、甘く囁き続けながらも耳元に移動した頃には、
千鶴は真っ赤になりながらも、自分を求めて、せがむ愛しい夫を拒むことが
できなくなっていた。

体勢を崩さぬように、千鶴の耳朶を軽く咬むと小さな悲鳴が上がる。
久しぶりに耳にするその声に、原田の中で何かが芽吹き始める。


愛する女を前にすると、こうも自分を抑えられなくなるなんて、知らなかった。
自分はもっと、余裕のある男だったはず。
千鶴と出会う前は、町娘だろうが、色町の女だろうが、あんなに多くの女を
酔わせてきたのに。
こんなに俺自身が酔わされたのは初めてだ。


甘く漏れる声を耳にするたび、自分の中の原田左之助という人格を手放して
しまいそうになる。
しかし、そのことに対する興奮のような恐怖は決して不快ではなく、むしろ
ひどく心地が良かった。


「千鶴・・・・・」


前屈みになり、千鶴の小さく形の綺麗な輪郭に舌を這わせる。
そして、口元へと。

はじめはただ、唇を濡らすだけの口づけを与える。
女にそうしてやると皆、決まったように焦れて、己から再び唇を重ねて来た。

しかし、千鶴は違う。

同じようにしても、焦れるどころか恥ずかしそうに顔をわずかにうつむけてしまう。
その反応に征服欲のような、独占欲のような感情が原田の中に沸き上がり、
結局、焦らされるのは原田の方だ。


いつの間に、こんなに駆け引きが下手糞になったんだろうな。


変わってしまった自分自身に、心の中で思わず苦笑する。
もう、相手を試す駆け引きをする必要はないということだろうと思う。


もう、俺が我慢する必要はない、のだ。


原田は再度、唇を重ねた。
わずかに薄く開かれた千鶴の口の隙間から、舌を無理矢理押し込む。
既に抵抗できない千鶴は、簡単に原田の侵入を許す。


「・・・・・はっ、・・・・ふぁ・・んっ」


口の中で舌を蠢かせると、苦しげな艶めかしい声が漏れ出る。
それに従い、つい、暴れ回る舌の動きが速くなっていくのを自分でも止められない。

互いの唾液が甘く混じり合って、浮かされた意識は白みがかってくる。
何度も何度も角度を変え、貪るように口付けていくと、千鶴の瞳に恍惚とした
光が浮かんでいくのが見て取れた。

一度口を離すと、名残惜しそうに2人をつなぐ銀の糸がのびて、ぷつん、と切れた。


「さ、の・・・すけさん」

切なげに口にされる己の名前に欲情してしまう。
何よりも愛しい妻にそうされては、もう、止まる事なんてできない。

「・・・・・・ここで、抱いても、いいか?」


もう何度も夜を越えた行為の開始を千鶴に告げる。
勿論、肯定以外の返事をさせるつもりは毛頭無い。
しかし、これは千鶴に覚悟を決めてもらうための。


捕らえた獲物を再度逃がすつもりのない、獣のような目をしている原田に気づいたのか、
千鶴が小さく緩い動作で頷いた。


「・・・・・・正直、優しくしてやれるかわかんねぇ」


原田がすまなそうに目を泳がせる。
風呂の熱気のためか、生まれいでた身体の熱のためか・・・・
原田の額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
それが原田の言葉が嘘ではないことを表している。


「・・・・かまい・・・・ません」


今まで目にしたことがないほど、何かに耐えていることがわかる原田を今更拒否する
ことなどできるはずがない。


・・・・だから。



私は貴方の全てを受け入れる覚悟を決めた。







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